【oldradio-net】進駐軍放送物語 WVTR&FEN (転載)
2019-07-14


 かつて厚木の井上様が運営されていたoldradio.netにあった貴重な資料です。
井上様は同webをすでに閉じられてしまいましたので、許可を頂戴しました。
オリジナルはhtmlですが、blogに載せるため、体裁を若干修正させていただきました。
著者紹介は最後に載せてあります。 
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進駐軍放送の思い出

目次
・はじめに
1.WVTR NHK第2を使用
2.カルチャーショック
3.AFRS
4.Wで始まる放送局のコールサインと周波数
5.自動車ラジオ修理から米軍放送局スタッフへ
6.朝霞のFEN
7.110V 60Hzの電源
8.スタジオ
9.スタジオの機器について
10。AFRTS
11.真空管のこと
12.まとめ

・はじめに

 この物語を書くことになったきっかけは、たまたま厚木の井上さんのHPを見て、Hammarlund社の有名なプロ用のSP600JX 受信機、通称スーパープロをリストアされた記事を読んだことに始まります。 苦労して昔の絶妙なダイアルタッチを再現される様子が、いきいきと書かれていて相当なマニアのようです。    
早速私は昭和三年生まれのオールド ボーイだが、この機械を日本人がまだ見たことも、触ったこともない四十数年前に進駐軍放送局勤務をしていたお陰で、修理経験もある懐かしい受信機であること、四台がラックマウントされ、ダイバシティ受信でアメリカ本土からの短波によるニュースを受信していたことなどをメールで送りました。
 早速返事があり、ご自分のホームページに専用の貴重な思い出話のページを作っても良いから、是非原稿を送ってほしい、 とのご好意ある申し出でした。 昔のこと故写真しか残っておらず、以前仲間に配布した自身の経験話『ラジオ屋人生』の一部と写真を参考にお送りしたところ、写真はスキャナーで取り込み拡大しても大丈夫とのこと、何はともあれお会いして話をしようとなり、 ご多忙のなか吉祥寺まで来ていただき食事しながら打合せをしました。                   
               
 占領下アメリカのコールサインであるWVTR、通称RAIDO TOKYO が内幸町のNHK設備を使って770KC(周波数の表示は当時まだHzは使用していませんので、当時のままの表示とします。他も同様当時の呼称とします) 出力10kW で放送を開始したのが、1945年[昭和20年]、9月23日 終戦後わずか1ケ月半後のことで、1952年[昭和27年]7月末まで続きました。 その後サンフランシスコ講和条約が締結され、軍政が終了すると共に接収が解除され、FEN東京となり長く馴染まれましたが、1997年[平成9年]10月から米軍の編成替えにより、現在のAFN東京となったこと、 このWVTR時代の1952年[昭和27年]から 1958年[昭和33年]まで約6年半ほど勤務し、そして今ではWVTRとFEN両方の経験者で生きている技術者は私一人となってしまったことなどをお話し、この際勤務した者の目で見、機械に触った実務的な記録を、当時の世相やエピソードとからめて記憶を掘起こして書いてみようということになったのです。
 出来るだけ正確に書くつもりですが、先日愛宕山のNHK図書館で日本放送史、その他の史料を読んでみたら、当然のことながら日本の放送史であり、駐留軍放送局は当時の郵政省監督外の局のため、あまり記録が残っておらず、また、その記録も私の書き残したメモと食い違っているところもあり、今となっては確かめることができませんが、私のメモに残っているのが多分本当ことだったのではないか、現実に近いのではないかと思えるのです。

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